heartbreaking.

中年の末路とその記録

文章のドッペルゲンガーには会いたくない・・

自分に似た雰囲気の文章は読まない。自分に似ていて、なおかつ・似ている相手の方が自分より文章上手かったりすると、二度と読みたくない。 その似ている人のブログは、自分にとって永遠に「鬼門」になる。

ドッペルゲンガーに会うと死ぬ、ってのと同じ心理かな。

自分の文章の雰囲気に、極めて酷似した誰かの文章を見ると気分が悪くなる。自分の「文章の個性」を殺されたくないという警戒心が働く。だから自分の文章に、"極めて酷似した文章を綴るブロガー"を嫌悪・拒絶して、そのブログには通わない。もし、その文章を認めたならば、自分は一生そのブロガーの文章の奴隷となってしまうのではないか。そんな恐怖を、知らぬ間に抱かされている事実すら、気分が悪い。俺は俺だ。真似するな、・・いや俺がお前の劣化コピーなのか。だんだん自分の存在が消えてゆくような恐怖を味わうハメになる。自分の文章が形作ろうとしたまほろばの世界が、自己の中で静かに滅び行く未来を暗示するようで、憂鬱になる。

俺にも、「鬼門のブログ」がいくつか存在する。このブロガーは、雰囲気が俺に良く似てるから、コイツとはここでサヨナラした方がいいだろうな、とか。こいつは、だんだん俺に似てきたんじゃないか?とか。いや、俺がコイツの個性に殺されているのか、とか。

目を閉じて、想像してみようか。ある日、何気なく自分の部屋のドアを開いたら、自分のPCの前に、自分そっくりの「人間」が椅子に座ってカタカタ文字を打っていたら・・。その自分そっくりの人が、こちらを振り返ろうとしたならば。・・これは、とてつもなく怖いですね。それと同じ現象が、ネット上で、自分に酷似するブロガーを発見する事なのかもしれない。

自分の分身が打ったのではないか?と思うほど酷似する文章を打ったヤツが、もし現実に存在するならば・・、ソイツは俺のドッペルゲンガーなんじゃないか。俺のドッペルゲンガーなのに、何故かその表情を想像するのが恐ろしくて出来ない。そのドッペルゲンガーの顔は真っ黒に塗りつぶされ、ブラックホールのように吸い込まれそうなイメージかもしれない。その恐怖を表すならばダムの穴みたいな。多分、ドッペルゲンガーに会ったら、ウオォ~....って感じで相手に魂を吸い取られて死ぬんだよ。

俺はネットにハマりすぎたせいか、自分の顔を余り鏡で見なくなった。いつの間にか自分の本来の姿にフタをして、ネット人格の自分に見合う「理想の自分」の姿だけを信じるようになりました。だから、明るい電気の下でタマに自分の顔を鏡に映すと・・ゾッとするんですよ。ああ、年相応に老けていたんだな、とか。俺は、こんな顔だったか?・・疲れすぎてないか?いや、これは俺じゃない、と顔を背けたくなる。PCに向かい、くだらない記事を読んでニヤついてる間にも、確実に老いは近付いている。足音も無く・・。自分はこのままでいいのか、と振り返る時間も大切だ。

ネットが浦島太郎の龍宮城だったのに、現実世界で歩き出そうとした頃にはスデに玉手箱を開けた年老いた自分で手遅れだった。とか、そうゆう事が無いように、しっかり現実を見据えて生きて行かねばならない。ネットもほどほどに、という事だよ。

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goo blog funamushi2 - 2006-08-11 08:38:34 コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )