heartbreaking.

中年の末路とその記録

古くから存在するブログの更新が停滞している

ネットに漂うだけの文章に恋をするのは、どんなときだろう・・・

顔や姿の見えない、文章のみだからこそわかる、その人の持つ本質的な魅力。現実世界で顔をつきあわせて話すよりも、ダイレクトにこの心に届く。誤魔化しようのない、その人そのものが、そこにある。

一度その人を好きになると、その人が名前を変えようと、他のブログサービスに移ろうと、追いかけてチェックしてしまうものです。たとえその人が、かつての輝きを失いかけていたとしても・・・

その人がその人である限り、私は彼の姿を「見失いたくない」と思うのです。

一度、恋をしてしまうと、その人のツイッターまでのぞいて、リアルタイムのなにげない思考まで知りたいと思うようになります。生きることについてなにを見出そうとしているのか・何を見失おうとしているのか・・・

順調であるより、やや迷走気味な心が見え隠れする文章であるほうが、男としての魅力を感じる。

その人のブログに映し出される写真の数々は、その人の心を通して映し出されたもの。なぜその風景を見てシャッターを切ろうとしたのか、なんでもないような風景であっても、私は想像してみたくなる。その人になって想像してみたくなる、またはその人そのものの心に・・・ 少しだけ寄り添ってみたいと思う。

誰のことを言っているのでしょうか?

恋をするブログもあれば、安心させるブログもあります。『斬』のsouryuuseiさんはgooからfc2に移転されましたが、この方の文章はいつでも「真っ直ぐ」で、読んでいてとても気持ちがいいです。

誰にでも「わかりやすい」という点も、つい覗いてしまう・確認せずにはおられない理由です。例えばそのブログの管理人が魅力的な人物だと知っていても、その人が私にはわからないような難しい話題ばかり続けていれば、ちょっと距離をとらざるを得ません・・・ それはとても残念なことです。

最近は、ニュースサイト(特に「痛いニュース」)だけ読んで満足していたので、個人ブログをあまり読んでいませんでした。というのも、昔から読んでいたブログがことごとく更新停滞しているからです。つまらないですね。仕事が忙しいのかな?それとも文章に飽きたのかな?おーい・・・

・・・・・・

最終更新日が4月とかだと、もう更新する気ねえのかな?と思う。ツイッターで動いてるのかもしれないけど、そこまで探そうとは思わない(自分がツイッター使ってないので面倒)。

というわけで、かつての巡回先のブログがことごとく停滞しているので、新規開拓で面白いブログを探しに旅に出ようかなとか・・・ でもそれは自分のなかで拒絶感がある。新しい人より、古くからいる人を見ていたい。でも更新がなければ、重い腰をあげて、新しい人を探すしかなくなる。

なんかこう、文章は確かに上手だし、ユーモアも効いていて、大量ブクマがついてる記事は、確かに感服させられ文末まで余すことなく完読することもありますが、それを巡回先に入れるかどうかは微妙ですね・・・ 何で昨日や今日知っただけのブログの管理人を好きになれたりしますか。あまり文章上手すぎると、言葉の巧みさで読者を手玉にとろうとしているイヤラシサが見え見えでむしろ不快であることも多い。

恋をさせてくれる、中毒になるくらい魅力のあるブログはどこかにないものか。それはやはりポエムも打てたりする、詩人さんでないと駄目ですかね・・・