heartbreaking.

中年の末路とその記録

きらめく優しさは残酷

仕事が終わりマンションのエレベーターに乗り込んだ途端思いきり息を吐き出す… それが合図(それが… 合図… ひぐらしの歌詞のような)。…その瞬間スイッチが切り替わり本来の自分へと戻る。

安いマンションの共用通路はいつも虫の死骸や鳥の糞、泥などで汚れている。その汚れを靴底へ否応なしにすり付けながら家のドアを開けるたび一人であることを確認する。心のどこかにある寂しさはまだ一度も悲鳴をあげたことがない。それは今が望んでいた結果だからに相違ない。

いつでも迷ったときはその部分における自分のルーツをたどることで今求める答えを見つけだすことができる。

たとえば恋愛に迷ったのならば初恋のときを思い出してみる。もう一度その場所に戻りたいと思うのなら、しばし心だけその場所へ還ってみる… そうすると今の自分がつかもうとしていたものは何だったのだろうと思うこともある。どうしても男と女でなければ駄目なのかという点も含めて今一度、本当の愛とは何なのかを見つめなおす必要があるような気がしている…… 肉体ではなく精神を重視したときに自分はどっち側なのかと思う。もしかすると男ではなく、求めるものは女なのではないかと思う。

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レンアイマンガ 新装版 [著]コダマナオコ

嗚呼、気付きましたか。私のブログのアフィリエイトが百合一色なことに。読んだ中でおすすめできる作品を記事末尾でご紹介してゆくことにします。今おすすめはこちらです。絵が丁寧ですし一度でも同性に恋をしたことのある女性ならば楽しめるはずです。

前記事では写真を出しましたので女だとわかっていただけたでしょうか… 私には谷間がありませんので誰にも叩かれる隙すらありませんでした。美人でもなさそうだし可愛くもなさそうだ…、普通すぎて怖い。そんな普通の人が打ってるブログです。

私はリアルでは人に優しいとよく言われている。あきらめの気持ちをある程度持つことで慈悲の心を育むことができる… そうして表に出てくる表情や言葉が人には優しさであると受け止められがちだがよく見てくれないか… 私は笑っているのではない泣いている。この優しさの根源は怒り・嫉妬・絶望だったかもしれない。そして私の存在は過去の残酷さによって生み出された結晶だ。残酷だからこの身と心を切り刻みながら人にどれだけでも優しくできる。
人に優しくすることは相手によっては時としてまるで自傷行為のように感じる。自分がどんなに欲しても到底得られないものをとっくに得ている人に対して優しい気持ちで接しようとするほどにこの心は壊れてゆく。その人のことを人間的にとても好きになれた。優しいほほえみをくれてありがとうと思った直後に無力感と喪失感がほぼ同時にこの心を喰らい尽くしぽっかりと穴が開いたまま目の中に涙をためながらなにもない自分をただ果てしなく感じていた。どんな人の優しさも笑顔も最後に私の存在への否定へとつながっている。私は存在していていいのかと問いながら心は富士の樹海の中を彷徨い消えてしまいたいと思っている。

後で自分で読み直してみたが、本当にわけがわからない、コイツは何が言いたいのだ的なのがなぜか打ってみたかった。スルーでOK(今回は極力、読点を省いた)

追記: 後日ブログが重くなる等の理由でRentaのアフィリンクは外しました