heartbreaking.

中年の末路とその記録

書籍制作中の苦悩を打ち明けます―ブロガーは引用することに慣れすぎている (追記あり)

書籍の制作中は、起きてる間は常にそのことが頭の片隅にあるために、妙にイラついていたり、心の中で転げまわりました。いまの私には、限界状態のものが、あの書籍です。もう自分の過去についてを、これ以上考えることは出来ない……とおもえたところで出版しました。

書籍を出したあとで、青ピカチュウさんと「他者の作品の引用をどこまでしてもかまわないのか?」……という問題で認識のズレがあったので、こちらのコメント欄においてこのようなやりとりもありましたが、最後にはこちらの要望を受け入れていただけたので安堵しました。

《追記 03.05》この記事を出したあとで、協力者が引用についての説明記事を出したところ、 それを読んだ青ピカチュウさんの中で考えが変化したようで、結局、私の出したばかりの書籍の一部分が再び表示されている状態に戻っているようです。ですが私にはこれ以上はどうすることもできません、あとは読む側の良心にゆだねるしかないと感じています。(追記ここまで)

また、昔から顔見知りのelveさんにも若干、批判を受けています。

書籍冒頭に表示される、以下の部分が、気に障ったようです。

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私の書籍をむやみに引用しないでください、と言うと、書籍を出さない方々からすれば……心が狭いとおもうかもしれない。だけど、ブロガーは他者の文章を引用することにあまりにも慣れすぎてしまっている。その中で、引用する量が多すぎたり、核だけを寄せ集めてしまうこともあり、それらは著者の利益に損害を与える危険性がある。私も、自分が書籍を出すまでは気付けなかったので反省している。
引用した文章は、自分のものではなく「他者の考え方」であるのに、何故それを使用するための権利ばかりを主張してくるのだろうか……書籍にするほどの長文(何万文字も……)を生み出すための苦労を知らない人々は、その中の一部分だから構まわないだろうとおもうのかもしれない。けれど、その一部分は、書籍内の大きな流れの中に存在するからこそ意味があるのだということをわかっていない。
引用することの重みを知るのは、自分が泥だらけになりながら転がりまわって長文作品を必死に作り上げたあとだとおもう。
自分と協力者が力をあわせて制作した努力の結晶の一部分(しかも結構、重要な部分)のみが、安っぽく切り取られてしまっていることに対する、ショックを感じたから、言わざるを得なくなってしまった。だけど、引用をする人は、そうしたことには気付けない。きっと自分が書籍を出せばこの考え方を理解できるだろうとおもいます。

なんだか偉そうでホントすんません、こんなふうに感じているのは私だけなのか?

著作権については協力者の過去ログを読んでみてください(このときは、たまたまfujipon先生に言及しているようですが、私はfujipon先生のことは好きですから批判するつもりはないです……)。
長文引用は、読者・著者・原作者の損である - はむはむ報告

《追記 03.06》 土曜日の猫 (id:LeChatduSamedi) さんから、著作権についての「図解」をいただいています。

では、書籍を出すという貴重な経験をしたので、制作中の思い出話などをしてゆこうとおもいます。

まず、書籍内では、統一性をもたせることが重要だということを、協力者の指摘を受ける中で知ることができました。誤字脱字が多く見つかるような書籍は恥ずかしくて出せませんので、それを徹底的に見つけて修正せねばなりませんでした。そして、文章の矛盾を協力者に見つけてもらった上で、再度、その部分を見つめなおすことの繰り返しです。

そうした些細な修正の積み重ねによって、読む側が感じる「?」を極力減らすことが大事だったのです。そのために、私がどうしても伝えたかった子連れに対する批判の詰まった章をごっそりと排除しています。それは、私の脳内でもまだじゅうぶんに整理できていない考え方だったために、矛盾があまりにも酷かったからです。でも、一人で書籍を作ろうとしたならば、その矛盾にすら気付けないままに勢い付けて発行していたような気がします……

自分の書籍を作るのなら、協力者の存在が必要不可欠です。それも誰でもいいわけじゃなくて、何でも遠慮なく言い合えるような関係を構築できなければ、嘘だらけの書籍になってしまう。協力者にコントロールされないで、どんなに意見が割れたとしても、主導権は常に著者側にあって、最終的な決断を下すのは著者でなければならない。当たり前だとおもうかもしれませんが、油断すると、呑み込まれる恐れがある、苦悩の末に疲れ果てて、もう、それでいいよと投げやりになったら終わり……長文制作は果てしなく苦しかった。

また、日本語はとても難しいです。語句の読み方を私は「傍(そば)」と認識しながら打っていましたが、協力者は「傍というのはヘンじゃないか?そこは、傍ら(かたわら)じゃないのか?」と指摘してきたのです。私は、「傍ら(かたわら)」なんて読み方はしないので、この時点で、なんでだよ!とムカッときてました。

はしごたんの本で気になったところを指摘していく中で「傍」というのを心の中でずっと「かたわら」と読んでいたのですが、送り仮名間違ってないかな?と調べたら、「傍ら」だったんですね。それでそこを指摘して、「では、傍は傍らに直す」ということになったのですが、結局、それは違うということで、傍らは傍に戻りました。

ちょっと分かりにくいですが、私は「傍(かたわら)」と読んでいて、はしごたんは、「傍(そば)」と書いていたというオチなのでした。

ぽてっくす

そんな、些細な認識のズレも、毎日、共通の目的に向かって、共に歩み続けているうちに、妙に追い詰められてしまうことがあった。相手はどうかは知らないが、私は何度もあった。嫌いになったわけじゃなくて、ずっと、きみのことは好きだ。ただ、自分では、これで良いだろうとおもっていたし信じていた文章が指摘され続ける中で、さらに認識のズレまで生じることが、とてもムカつくのだ。そして、いつも近くにいるからこそ、最悪な自分を見せて、滅茶苦茶に傷付けてしまうことが怖い。もし、傷付けて再起不能になったなら、中途半端なままの状態の書籍用の文章は、私が心の中で流す涙に濡れたままで、終わるというのか……そのあとには一体なにが残る。誰が、こんな私に手を差し伸べてくれる。だから、本当は、どんなことを言っても、離れずにいてほしかった。いつのまにか、おもいきり、相手に精神面で依存してしまっている状態だった。

書籍をわざわざ出すのなら、タテ書きのほうがよかった。だが、タテ書きは随分とイメージが違う……冗談を飛ばしても、しらけてしまう。ブログだと面白いかもしれないが、書籍の中では、ただ、ふざけているようにしかおもえなかった。だから、つまらなくてもいい……ひたすら真摯に自分についての文章を打つことにした。そして打ちあがった文章の大半は、破棄した。実際には、出した書籍の二倍以上の文章を打っていました。

何故、破棄したのかというと、自分にしか解読できない暗号のような考え方が非常に多かったからです。これに気付くことができて、無事、書籍内から取り除くことができたのは、協力者がいたおかげです。

それを残したままで書籍を出していたなら、きっと読む側は「この著者は一体なにが言いたいのだ?」と、頭を悩ますことになる。とても難解であるのに、それを考えた著者はまるで気付けないといった不幸が起きてしまう。 それなのに、その考えが著者自身にとってはとても魅力的に映ってしまうし、自信を持って文章に変えていることもある。

そうした「これはなんなのか」という、解読できない部分は、協力者が発見してくれます。その際には、ズバッと指摘を受けることになるわけですが、その指摘をされることに慣れるまでの間はつらかったです。 協力者の指摘に抵抗があった理由は、私が長年、一人で文章をブログで発信し続けてきたからです。

矛盾だらけの文章に、指摘を与え続けてくれた協力者がいたからこそ、書籍を出すことができました。

指摘された部分を考えながら、一つ一つを修正していった。世に出しても恥ずかしくない、きちんとした書籍を出したい、ただそれだけだ。

統一性のある、誤字脱字の少ない、矛盾も少ない、きちんとした作品として、私の人生の一部分を切り取って出すことに意味がある。一人でもいい、読んで、なにかを感じていただければ、それですべての苦労は報われる。

ですが、声が届くまでは不安もありました。そんな中、知り合いのブロガーから書評をいただけたことが、とても嬉しかったのです。文章の最後に、現在いただいているすべての書評をご紹介しますので、私よりも何倍も魅力的な方々の書評を読んでみてください。

私の書籍は、けして万人におすすめできるような内容ではありませんが、書籍自体の作り方としては、自信を持って出しています。レイアウト等を、協力者のセンスに任せて正解でした。

250円というのは、安いとおもうでしょうか?いえ、それでもまだ高いです。出版社以外が出した書籍で、同人誌でもない、これはなんなのだ?という心理的障壁を乗り越えて、わざわざお金を出してまで、深い領域まで足を踏み入れてゆくことは、非常に難しいことなのではないでしょうか……

ブロガーとしての存在は認めている、しかし、その人の書籍を買うのかどうかはまた別の話になることもある。私にもそういった部分があります。だから無理をすることはないし、お互いに必要な部分だけを感じあえればよいとおもうのです。

私自身は、収益のために書籍を出したわけではなく、自分のためにやったことなのです。自分が書籍を出さない未来を想像してみました。長年ブロガーとして、自分の文章を愛しながら打ち続けてきたのに、それなのに、本の一冊も出さないままで、もしかすると明日、死んでしまうかもしれないのに、そんな人生でいいのか?と。そして、知り合いのブロガーが次々と書籍を出してゆく中で、自分だけがいつまでも出さずに、まるで爪を隠すかのようなそぶりのままで、ブザマな醜態を晒すことだけを恐れて、書籍を出した方々に嫉妬しながら、そんなんでいいのか?と。

私は、やらずに後悔するようなことはしたくない。特に、自分の一番の趣味ともおもえる、この、文章を打つことに関しては……だから、書籍を出したことによって、私の中での文章に対する一区切りをつけることができて、いま、安堵できている状態です。

これまでに、いただいている書評です。日付順で表示しています。そして、きまやさんに一番にツイートで感想をいただいていました。皆さん、格好良い書評を打たれるのですね。ありがとうございました(もし言及いただいているのに気付けなかった場合は是非教えてください)。

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書籍の売上げと、ブログのアクセス数は特に関係ない。―青ピカチュウさんの心無い行動のせいで自分の死を感じました。《通報しました》(2016-03-07)